【連載】明日も一日きみを見てる 第10回 | 角田光代
見出し画像

【連載】明日も一日きみを見てる 第10回 | 角田光代

小説 野性時代

「小説 野性時代」で連載中の大人気エッセイをnoteでも特別公開!
毎月22日(にゃんにゃんの日)に更新予定です。お楽しみに!

◀第9回へ

トトの目の上の毛がはげてしまった。
病気ではないようなのでストレスかもしれない。
ストレスの原因は、もしかして……?

第10回 とらちゃんとはげ事件

 猫の目の上の毛は薄いのがふつうだ。猫を飼って私がはじめて知ったことである。薄くない猫もいるらしいけれど、トトは薄い。最初のうちははげているのではないかと心配したが、猫にくわしい友人が「それがふつう」と教えてくれた。

 先だって、日だまりに座っているトトを何気なく見ると、目の上がきらきらしている。え、と思ってよくよく見たところ、薄い毛がさらに薄くなり、引っ搔いたのか一部うっすらと血がにじみ、粘液的なものできらきらしているのである。
「えっ、ちょっとどうしたの」と言うとトトは目をそらす。「搔いちゃったの?」何も答えない。もちろん猫は何も答えないのだが。
 よくよく注意して見ていても、搔きむしるということはないのに、いったいどうしたのだろう。私たちがいないときに、ものすごい勢いで搔きむしっているのだろうか。

 インターネットで猫の目の上の毛について調べてみると、ストレスではげることもあり、皮膚病の場合もある、と書かれている。皮膚病だったらおそろしいので、とりあえずお医者さんに連れていく。調べてもらうも、皮膚病ではないらしい。抗生物質の薬をもらって様子見になった。
「皮膚病ではないとするとストレスかな」と家の人に言うと、
「あ」と家の人が声を出す。「このごろ毎朝トトが布団に入れろと言って起こしにくるんだけど、布団をこう、片手で持ち上げて、ずーっとその状態にしなくてはいけないんだよね」
 と説明をはじめる。トトは布団には入るが、布団が自分の体に掛かるのはいやなようで、家の人は横向きになって片手で布団を持ち上げ、トトのために空洞を作っているそうなのだ。トトの気がすんで出ていくまでそれをやるらしい。が、
「ものすごく眠くて、トトが布団に入れろと言うのを無視したことが一度あるんだ……」と言う。
「へ?」
「もしかして、それがストレスになったんじゃあ……」
「いやいやいやいや」それはない。そんなことはない。私のところにも、夜更けに三、四回は起こしにきて、まずは頭を私の頭にぐりぐりこすりつけ、それでも起きないと片手で髪をくしけずって、布団をめくれ、脇の下に入れろと訴えてくるが、起きられないときもある。深く寝入っていて気づかないときもきっとある。そんなの、何十回もある。たった一度の催促を無視したくらいで、トトのストレスになるはずがない。
 ではなんだろうと考えてみても、思い浮かばない。ともあれ薬を飲ませはじめた。

「あ」と、二、三日後、また家の人が言い出す。「トトのストレスは、もしやあれではなかろうか」と指をさすのは、外のテラスに敷いたちいさな膝掛けだ。
 外猫のとらちゃんがよく顔を出すようになって、テラスでくつろぐことが増えた。ガラスを挟んでトトと向き合い、おなかを見せたり、窓の桟に額をこすりつけたりしている。トトはトトでそれをじっと見ているから、その存在を許容しているのだろう。
 冬で寒かろうと思って、とらちゃんのために百円ショップで膝掛けを買い、とらちゃんがよく座る場所に敷いておいたのだ。
 家の人が推測するに、トト的にはとらちゃんが遊びにくるのはかまわない、けれどもあんなふうに「とらちゃんの居場所」が見えるところにあるのはいやなのではないか。「とらちゃんも我が家のメンバー」みたいな扱いが、たいへん気に食わないのではないか。

「だってね」と、家の人が話すには。
 とらちゃんは朝、私がトトの朝ごはんを用意しているときにくることが多い。朝の七時前後だ。私が起きて寝室を出ると、トトは日課のように家の人の布団に入れてもらいにいく。階下から、「あっ、とらちゃん」という私の声が聞こえるたび、トトがふっと体を硬くする、というのである。
 その名前を覚えていると言うよりは、私の声のトーンやニュアンスで「きやがったな」とわかるのではないか、というのが家の人の推測である。
 そう言われるとそうかもしれない。とらちゃんはトトに友好的だし、トトもほかの外猫とは違って、とらちゃんにはシャーも言わず尻尾も振りまわさないが、ものすごく好き、いつでもきてほしい、いつかいっしょに遊びたい、というわけではないのはたしかだ。

 とりあえず私は、朝にとらちゃんを見つけても、声を出すのをやめた。そうしてテラスに敷いてあった膝掛けをしまった。
 それが功をなしたのか、それとも薬のおかげか、一週間もしないうちにトトの目の上には毛が生えそろい、もとどおりの「ふつうに薄い毛」になった。
 経過を見せに連れてきてくださいと言われていた病院にいく。「きれいになったね、よかったね」と先生も言ってくれてほっと安心した。診察台にはりついて、心を無にするかのようにじっと一点を見据えるトトを見て、
「おびえると猫は瞳孔が開いてまんまるの目になるんだけれど、この子はこんなに目を細めているから、こわいわけではないんだね。ただ、いやなんだね」
 と先生が言い、たしかに、トトはとらちゃんがくると、このぶんむくれた顔でよく見ているなあとあらためて気づいた。こわくもないし、嫌いでもないけれど、ただ、やっぱりなんかいやなんだね。

つづく



次回の更新は2月22日(火)の予定です🐈

角田光代(かくた・みつよ)
1967年神奈川県生まれ。90年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。2005年『対岸の彼女』で直木賞、06年「ロック母」で川端康成文学賞、07年『八日目の蟬』で中央公論文芸賞、12年『紙の月』で柴田錬三郎賞、『かなたの子』で泉鏡花文学賞、21年『源氏物語』の訳業で読売文学賞など受賞。


「明日も一日きみを見てる」の最新回が読める!
「小説 野性時代」1月号 大好評発売中

第12回山田風太郎賞発表! 選考委員による選評、受賞記念エッセイを掲載。三津田信三による新シリーズをはじめ豪華連載陣による連載など、今最も旬の小説が読める文芸誌「小説 野性時代」今月もお見逃しなく!

画像クリックで詳細にとべます↑


みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!
ありがとうございます!
小説 野性時代
今、最も面白い旬の小説が読める文芸誌! 月刊「小説 野性時代」の公式ページです。「小説 野性時代」に掲載中の人気作品の一部を、こちらでも特別公開していきます。詳しい情報はこちら https://www.kadokawa.co.jp/product/322101000604/