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【連載】明日も一日きみを見てる 第20回 | 角田光代

小説 野性時代

「小説 野性時代」で連載中の大人気エッセイをnoteでも特別公開!
毎月22日(にゃんにゃんの日)に更新予定です。お楽しみに!

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暗闇でないと眠れない「暗闇派」と
少し明かりがないと眠れない「明かり派」。
猫が目を隠して寝るのは、
暗闇派であるかららしいと気が付いた角田さんは。

第20回 暗闇とカバー事件

 猫はときどき、寝ているときに前脚や尻尾で目を隠している。そんなふうにして寝ているトトの姿を長いこと見ているが、これはたまたまそうなっているんだろうと思っていた。たまたま置いた前脚が目の位置にある。たまたまのばした尻尾が目を隠すような位置にある。
 そういう姿を見るたびに、家の人は「トト、まぶしいんだねえ」と言っていて、でも私はそれを擬人化だと思って聞いていた。

 眠るときに真っ暗闇でないと眠れない人と、少し明かりがないと眠れない人がいる。私は眠れないという体験が極端に少なく、暗くても明るくても、騒々しくてもしずまりかえっていても、枕があってもなくても、難なく眠れるので、眠りにこだわりがある人がいることは知っていても、きちんと理解はしていない。つまり、暗闇派は、少しばかり明るい部屋で寝るときにどのくらいつらいのかとか、明かり派は、暗闇のなかで眠ることをどれだけおそれているのかとか、心情的に理解していない。
 家の人は暗闇派のようで、カーテンの隙間から少しでも日がさしこんでいたりすると、深い睡眠下でも無意識に布団や毛布をすっぽりかぶる。そのような性質だから、前脚や尻尾で目を隠すようにして眠る猫を見て、暗闇派と分類して擬人化しているのだろうと思ったわけだ。

 あるとき、驚いたことに、専用ベッドで眠るトトが、両前脚の手のひらで両目を覆っているではないか。三猿の見ざるにそっくりのポーズ。
 これはもしかしたら本当にまぶしいのだろうか。ふと思い立って、インターネットで猫の仕草について調べてみた。擬人化どころではなく、猫は本当に光がまぶしくて目を隠すのだと猫事典らしきウェブサイトに書いてあって、私は心底驚いた。もともと夜行性の猫は、目を閉じていても光を感じやすいため、明るい部屋で眠るときに目を隠すのだと書かれている。なんということだ。私は十年以上も、猫の寝かたについて誤解していたのだ。
 少し前まで、猫タワー上部にあるハンモックや、バリバリボウルでまるくなって寝ていたトトだが、この数か月間、夕食の時間帯、だいたい午後七時あたりから、みんなが寝静まるまで、トト専用ベッドで眠るようになった。専用ベッドは食卓とテレビの真ん中にあるので、しぜんと、ごはんを食べているときも、DVDや配信ドラマを見ているときも、眠るトトが目に入る。するとかならずトトは前脚か尻尾かで目を隠している。ああ、本当にまぶしいのだなとあらためて知る。

 その様子をやはり毎日見ている家の人は、同じ暗闇派としての同情からか、このトトベッド用天蓋製作を考えていたらしい。お姫さまベッドのように天蓋があれば、ベッド内で動きながら闇と光のバランスを自身で調節できるだろうと考えたようである。
 ところでこのベッドは元来、人形用なので、人形を寝かせるための布団カバーがついている。トトはどんなに薄くとも布団状のものを掛けられるのが嫌いなので、使ったことはないのだが、ふと思いつき、家の人が天蓋製作に入るより先に、このカバーを体に触れないようアーチ型にしてトトにかぶせてみた。ちょうど頭から上がすっぽりカバーの陰に隠れる。

 するとトトは嫌がらないどころか、そこから出ずに眠り続け、そればかりか体をもぞもぞ動かして陰の濃いほうに頭を突っ込んで眠るではないか。
 カバーでいいなら天蓋はなくてもいいのではないかと話し合い、私たちはトトが眠りに入るとこのカバーを工夫してトトの頭を隠すようにしている。うまい具合に頭カバーを作れると、トトはその陰に頭を入れたまま眠る。カバーなしで両前脚で目を隠しているときよりも、深く熟睡しているように見える。
 ときおり、食事をしていると、このカバーの奥から、「プスー、プスー」といびきが聞こえてくることもあり、「ふにぃぃぃぃ」とちいさな寝言が聞こえてくることもある。その都度私たちは顔を見合わせ、笑いをかみ殺している。ここで噴き出してしまうと、その気配にトトははっと起きるに違いなく、笑われたのが自分だと理解すると、もう二度とカバーをかぶってくれなくなる可能性が高い。トトはちょっとでも笑われたりしたくない、気位の高い猫なのだ。

 もう二十年近く前のことになるが、モロッコを旅したとき、バスでアトラス山脈を越えた。窓の外は、砂漠のような宇宙にも見えるような、むき出しの大地がどこまでも広がっていて、それを覆うように真っ青な空がある。商店はもちろん民家もない。人工物そのものがない。そんな果てしない大地を、いったいなんの用があるのか、人が歩いている。クリーニング済みのスーツを肩にかけて歩いている男性がいたり、何かの入ったかごを頭にのせて歩いている女性がいたりする。いったいどこからきてどこにいくのか、不思議な気持ちでバスから眺めていたのだが、もっと奇妙な心持ちになったのは、大地に横たわって休んでいる人を見つけたときだ。何もない大地に、ところどころ低木がはえているのだが、その低木が作るちいさな陰に頭だけを突っ込んで寝ている人が、たまにいる。歩いていたものの、暑さと疲れにたえきれなくなって、そうして涼みつつ休んでいるのだろうと理解できるが、なんとも妙な光景だった。
 布団カバーに頭を突っ込んで眠るトトを見ていると、その旅の光景を思い出す。そして、ああやってしばしの休息をとっていた人たちは、眠るときは暗闇派なんだろうなあと、今さらながらそんなことに思いあたるのである。

つづく

角田光代(かくた・みつよ)
1967年神奈川県生まれ。90年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。2005年『対岸の彼女』で直木賞、06年「ロック母」で川端康成文学賞、07年『八日目の蟬』で中央公論文芸賞、12年『紙の月』で柴田錬三郎賞、『かなたの子』で泉鏡花文学賞、21年『源氏物語』の訳業などで読売文学賞受賞。

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