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【連載】明日も一日きみを見てる 第19回 | 角田光代

小説 野性時代

「小説 野性時代」で連載中の大人気エッセイをnoteでも特別公開!
毎月22日(にゃんにゃんの日)に更新予定です。お楽しみに!

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寝る場所も毎朝の行動も、
猫のこだわりは気まぐれでありつつ執拗だ。
この冬にはじまった、トトのあたらしい習慣とは。

第19回 空中散歩と不可解事件

 トト専用ベッドの毛布をたった一度干しただけで、トトがベッドに寝てくれなくなったことはすでに書いた。
 冬がまたやってきて、寝てくれないだろうとは思いながらトトのベッドにまた毛布を敷いた。ちなみにこの毛布、もともとは人間用の、たいへん保温力の高い毛布である。
 それとときを同じくして、トトの爪とぎ兼ベッドであるバリバリボウルの、爪とぎ部分を取り替えた。この爪とぎ部分のみ買い換え可で、とぎすぎてぼろぼろになるたび買い換え続けている。爪とぎ部分が新品だと、トトも爪とぎをはりきってやっているように見える。
 幾度爪とぎ部分を取り替えても、ここでまるまって寝ていたトトだが、この買い換えから寝なくなった。爪はとぐが、そこでまるまって寝ることはしない。そのかわり、またベッドを使いはじめた。今まで見向きもしなかったのに、まったくそんな期間などなかったかのようにベッドで寝ている。

 このような猫の気まぐれでありつつも執拗なこだわりについて、なんとか理由を見つけたいと切望する人は多いのではないか。少なくとも私は知りたい。なぜずっと見向きもしなかったベッドを、また使いはじめるのか。
 ともあれ、トトのために購入したベッドなのだから、トトがここに寝ていてくれるとうれしい。毛布は二度と干すまいと決めている。トトがベッドでふたたび寝るようになって二か月が経過し、毛布は掃除機をかけても毛だらけ、しかもトトのかたちにへこんでいて、万年床の見本のようである。なんかうすら汚いな……と思うのだが、毛布を干すのはぐっとこらえ続けている。

 さらにこの冬、突如としてトトにまたあたらしい習慣ができた。
 朝、私は六時過ぎに起きてトトのごはんを用意し、自分のごはんを用意して食べる。トトは寝ている。まず起きてこない。私が家を出る八時前に寝室を覗くと、家の人の足を押さえこむようにして寝ている。冬はとくに熟睡度が高く、覗きこんでも起きないし、頭を撫でたりすると迷惑そうに薄目でちらりと見る。
 ある日突然、朝ごはんを食べていると、とんとんとんと階段を下りてきて、窓の外をひととおりパトロールしてから私の膝にのりにくるようになった。すぐにはのらない。私のわきにきて、「どうぞ、おのりなさいな」と膝に招いてものらない。背後にまわり、反対のわきから顔を覗かせ、またもとの位置に戻り、と、ひととおりぐずぐずしてから、ようやく片脚ずつ、そっとのる。のってからもすぐには落ち着かず、うろうろと膝の上を歩いたり踏みしめたりまわったりしている。ベストポジションさがしなのだが、これが長い。食事中の私はそういういちいちが面倒くさいので、どっこいしょと抱き上げて寝やすいようにしてあげるのだが、それもトトは気にくわず、位置を幾度もなおしてから、ようやく顎を私の腕にのせ、膝の上でまるくなる。このままぐるぐるぐるぐる言っている。

 朝ごはんを食べ終えて、新聞も読み終えて、食器を片づけたりごみをまとめたりしたいのだが、トトはずっとぐるぐる言いながら膝をおりない。自分のごはんも食べにいかない。無理矢理おろすのが不憫で、そのままにしているとどんどん時間がたつ。
 トトがぐるぐると言い終わりみずから膝をおりるまで、空の皿を前にずっとその場に座っている、というおだやかなやさしい受け身の態度を私はとれない。毎日のように仕事が詰まっているので、早く片づけて仕事場にいきたいのである。こういうせっかちで余裕のない自分を嫌悪してもいるので、毎朝、膝のトトをそのままにしたい私と仕事にいきたい私との闘いである。

 あるときふと思い立ち、トトが寝ている姿勢のまま腕で支えて持ち上げて、「トトちゃんすごいね、寝ながらにして空を飛んでいるよ」と大げさに褒めながら立ち上がり、ぐるぐる言い続けているトトを二階に運び、家の人の足の上にそっとのせてみた。するとトトはぐるぐる言い続けたままそこで寝るではないか。あたかも私の膝から瞬間移動してきたかのように。
 翌日から私は膝にのりにくるトトを、食事後、そうやって持ち上げて運ぶようになった。その際「トトちゃん、しっかりつかまって」「わあすごいね、トトちゃんは寝たまま空を飛んでいるね」と話しかけている。まったく馬鹿みたいだと自分でも思うけれど、「トトちゃん、しっかりつかまって」と言うと、トトは私の腕を押さえている前脚にガシッと力を入れるし、運んでいるときも寝た恰好のまま身じろぎをしない。空中散歩をたのしんでいるふうに、私には思えるのである。

 突然はじまったこのトトの新習慣の理由が私にはわからない。今も毎朝、起床、パトロール、さんざん躊躇してからの膝、ぐるぐる、「しっかりつかまって」の前脚、「空を飛んでいるよ」の不動、ベッドに着地しそのまま寝続ける、という一連の小芝居は続いている。朝起きてくるのは、膝にのりたいというよりも、この空中散歩がしたいからとしか思えなくなった。朝ごはんよりこんなことのほうがだいじなのかと、呆れるような敬いたいような気持ちになる。
 でもこの習慣も、きっとある日、ぱったりとやめるのだろう。猫初心者である私もだんだん理解できるようになった。猫はあるとき何かをはじめ、飽きるまで執拗にくり返し、ある日急にそれをやめる。はじめる理由も、こだわる理由も、やめる理由も私たちには一生わからない。

 そういえば、毎日きていたのに急にこなくなったとらちゃんが、雪の降った翌日、じつにひさしぶりに姿をあらわした。ランニングから帰ってきて、玄関のドアを開けていると、テレポーテーションしてきたかのように足元にいて、「ンナーア」と話しかけるように鳴いた。どうやら私の顔を覚えているようである。
「あっとらちゃん」「ンナーア」「どこにいたの」「ナーオ」「どこにいってたの」「ンナーオ」「なんで急にきたの」「ンナーア」
 というやりとりがあったあとで、きっとおなかが空いているんだろうと、少しだけごはんをあげた。とらちゃんはさっと食べて、食べたあとはもう他人みたいな顔をして、話しかけてもナの字も鳴かず、つーんと取り澄ましてどこかにいった。あいかわらず毛並みはきれいで、顔つきは穏やかで、まるまるとしている。理由はわからない。わからないけれど、「あそこんち、たまにはいってやっか」ととらちゃんは思ったのかもしれない。

つづく

角田光代(かくた・みつよ)
1967年神奈川県生まれ。90年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。2005年『対岸の彼女』で直木賞、06年「ロック母」で川端康成文学賞、07年『八日目の蟬』で中央公論文芸賞、12年『紙の月』で柴田錬三郎賞、『かなたの子』で泉鏡花文学賞、21年『源氏物語』の訳業などで読売文学賞受賞。

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