【連載】明日も一日きみを見てる 第8回 | 角田光代
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【連載】明日も一日きみを見てる 第8回 | 角田光代

「小説 野性時代」で連載中の大人気エッセイをnoteでも特別公開!
毎月22日(にゃんにゃんの日)に更新予定です。お楽しみに!

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脱走事件以来、トトの姿を確認するのが習慣になった角田さん。
ある朝姿が見えないと思ったら、トトは思いもかけない場所にいて……。


第8回 猫プライドと神隠し事件


 ぜったいにそんなはずはないのに、トトの姿が見当たらないことがある。以前ならば、まあ、どこかにじっとりと潜んでいるのだろうと思って、さがさずに出かけていたが、脱出事件以来、トトの姿を確認してからでないと家を出られなくなった。

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 朝、私は六時半に起きる。家の人は、缶詰になっていないときは寝るのが明け方四時くらいで、起きるのは十一時前後。私が起きるときはトトも家の人も寝ている。しーんとしている。
 飼い主を起こして朝ごはんを催促する猫もいると聞くが、トトがごはんを催促したことは一度もない。トトの優先順位を見ていると、甘え欲が第一で、次が遊び欲、その下に睡眠欲、おやつ欲があり、食欲はかなり下位だ。私は自分のごはんより先にトトの朝ごはんを用意するが、この朝ごはんをトトが朝食べているのを見たことはほとんどない。

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 朝ごはんをすませて八時前後に家を出て仕事場に向かうのだが、家を出る前にちらりとトトを見てからいくのが習慣になっている。熟睡したままぴくりとも動かないときもあれば、眠る家の人の足を押さえつけるようにして寝ているときもあり、気配に気づいて迷惑そうに私に一瞥をくれるときもある。
 そんなある日のこと。いつものように出かける前に部屋をのぞいたら、トトがいない。私が起きたときには布団の上にいたのに、いない。消えたようにいない。朝ごはんか。ごはん処を見にいくも、いない。ハンモックにもいない。テレビ窓にもいない。どこにもいない。窓やドアを確認するが、すべて閉まっている。えーっ、どうなってるの、神隠し?
 トトがいないんだけど……、と眠る家の人を起こそうとしたところ、布団にすっぼりともぐりこんでいるトトを見つけた。家の人に添い寝するように布団に入って、「えっ」と声を出す私をじろりとにらむ。思わず、「すみません」とあやまってその場をあとにした。

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 猫が布団に入る。ごくふつうのことだとだれもが思うだろう。けれどもト トは、うちにきた十年前から一貫して、布団を掛けられることを拒否してきたのだ。夜寝るときは、私の脇にぴったりとはりついて寝るため、片腕ぶん、布団をはがなくてはならない。冬は寒いので、トトが寝息をたてるころにそろりそろりと布団を掛けていくのだが、少しでも布団が掛かった状態になると、バチン! と起きて迷惑そうに私の脇を出ていく。だから私はどんなに寒いときでも片腕を布団から出して寝てきたし、今もそうしている。つい昨日だって、トトのために布団をはいで寝ていたのだ。なのに、なぜ急に、ぬくねくと布団に入っているのだろう……。

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 猫全般がそうなのか、トトの特徴かはわからないけれど、トトは、私と家の人にたいしての態度が違う。家の人には抱っこされるが私の抱っこは嫌う。私の膝にはのるが家の人の膝にはのらない。私の腕にはじゃれついてきて、後ろ足キックをするし興奮すると軽く嚙んでくるけれど、家の人にはぜったいにキックも甘嚙みもしない。そして、どちらか一方に甘えている姿をもう一方に見られることを、極端に嫌う。私の腹の上でころごろ喉を嗚らしているときに、家の人が帰宅する音がすると、さっと下りて玄関先で寝転がっている。甘える姿なんて見せてたまるかという、プライドがあるらしい 。

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 どういう変化か、私が見つけた日からほぼ毎日のように、私が寝室を出ていくとトトは布団に入るようになったようだ。家の人によると、手順があるらしい。私が起きて部屋から出ると、布団の上で寝ていたトトはむっくりと起きて家の人の枕元に座り、前脚で髪を引っ掻いて起こし、布団のなかに入れろと要求するらしい。そして家の人が布団を持ち上げると入ってくる。自分からは入らない。入るとぐるぐると喉を嗚らしてやがて寝入る。数分寝て、はっと起きて布団の上に移動し、数分後、また枕元で髪を引っ掻き、なかに入れろと要求する。これを、四、五回くり返すのだという。
 そうして驚いたことに、私の足音が聞こえると、ぐるぐる音をピタッと止めるらしい。そこにいるのをばれないようにするためだ。「 そんな! 恋人の部屋にきた高校生じゃあるまいし私ゃおかんか」と思わず私は言ってしまった。
 甘えているところを見られたくないトトは、髪を引っ掻いて布団を持ち上げろと要求している姿も見られたくないらしい。一度、出勤前にそっとのぞくと、まさにトトが家の人の枕元で片前脚を上げているところだった。ところがのぞく私に気づき、前脚をさっとおろして、そこにちょこんと座るでは
ないか。いかにも「ただ座ってます」然として、宙を見据え、ぴくりとも動かない。あーあー、のぞいてすみませんね、とすねるような気持ちで部屋を出た。

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 トトのこの手順は、夜寝るときにもある。私が布団に入ると数分後にやっ
てきて、枕元に座ってまず自分の頭を私の頭にぐりぐりとこすりつける。それでも起きないと、片脚で髪を引っ掻いて、脇に入るから布団をどけろと要求する。布団をめくると脇にすっぼりおさまって、ぐるぐるひとしきり音を出し、やがて寝入る。数分寝るとはっとして起き、布団の上に移動する。しばらくするとまたなぜくり返すのか。なんの儀式なのか。なぜ熟睡せずにかならず起きるのか。もしかして、私を寝かしつけてくれているのか? 朝は家の人の眠りを見守ってくれているのか? と考えたが、それもちょっと甘やかすぎる想像だろう。トトはただ、何かおのれの衝動に従って奇妙な俵式を毎朝毎晩行っているだけだろう。

                               つづく

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次回の更新は12月22日(水)の予定です。 

角田光代(かくた・みつよ)
1967年神奈川県生まれ。90年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。2005年『対岸の彼女』で直木賞、06年「ロック母」で川端康成文学賞、07年『八日目の蟬』で中央公論文芸賞、12年『紙の月』で柴田錬三郎賞、『かなたの子』で泉鏡花文学賞、21年『源氏物語』の訳業で読売文学賞など受賞。 


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