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【連載】明日も一日きみを見てる 第14 回 | 角田光代

小説 野性時代

「小説 野性時代」で連載中の大人気エッセイをnoteでも特別公開!
毎月22日(にゃんにゃんの日)に更新予定です。お楽しみに!

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今年の夏はカナブンがよく家に入ってきた。
くわえてきたトトを褒めながらカナブンを外に放す、のくり返しで……。

第14回 カナブン祭りとプライド事件

 夏は虫の季節。トトにとっては、虫捕りがたのしい季節となった。

 どこからか入り込んできた虫を見つけて、トトが野太い特徴的な声で「とったど~」と、昼夜かまわず知らせてくることは、以前ここに記した。

 虫のなかでもトトの気分がもっとも高揚するのはカナブンだ。蜘蛛よりも羽虫よりも大きくて、派手な羽音がするし、ガラスや照明器具に当たるとかちかち音がする。その大きさと音が、狩猟気分を盛り上げるのかもしれない。

 かなり遠くでカナブンの羽音がしても、トトは聞きつけ、寝ていればはっと起き上がってダダダッと音のするほうに走っていく。人間の耳には聞こえない音でもキャッチするらしく、最初はトトのそのただならぬ様子にいちいちびっくりしていた。霊か何かかと思ったこともある。が、次第に人間の耳にも羽音が聞こえてきて、ああ虫か、と納得する。

 トトはカナブンを追いかけまわし、つかまえているが、食べたり、息の根を止めたりはしない。私もできれば食べてほしくないし殺生してほしくもない。なので、トトが野太い声で「とったど~~!」と、ときにカナブンをくわえて報告しにくると、「うわっ、すごーい、トトすごーい、こんな大きな虫をつかまえて、トトってすごーい猫!」と大げさに褒めながら、カナブンを専用容器に入れて外に放す。透明のちいさなタッパーウェアを虫専用にしていて、それをぱこんとカナブンにかぶせ、下に紙を入れて窓の外まで運ぶのである。トトはそれを、「ちっ…………」という顔つきで見ている。

 ところでこういう一連の流れを、私はけっしてたのしんでいるわけではない。できればカナブンなど捕らないでほしいし、それより何より、カナブンに家に入ってきてほしくない。でも、いったいどこからカナブンが入ってくるのかわからない。

 今年の夏はカナブンの当たり年かというくらい、カナブンがよく家に入ってきた。そして、いつもは爪とぎベッドのバリバリボウルで寝ていることの多いトトが、玄関で香箱を組んでいたり座っていたりすることが増えた。以前住んでいた集合住宅で、そんなふうに玄関前に座り、ときには並んで置いてある靴に紛れ、トトは家の人の帰りをじっと待っていた。てっきりそうして家の人を待っているのかと思っていたのだが、ある晩、玄関でじっとしているのはカナブン待ちなのだと気づいた。

 その晩、玄関にいるトトの野太い「とったど~!」が三回くり返され、三回ともつかまっていたのはカナブンだった。それでようやく、玄関周辺のどこか――玄関ドア上部しか考えられないのだが――に隙間があるらしいと気づいた。さらには玄関でねばっているトトが待っているのは家の人ではなく、カナブンであることも、このとき判明した。

 そのとき私の脳裏に浮かんだのは、パチンコ屋さんの行列である。あのように人が並んでいるのは、席数が少ないからではなくて、玉が出やすい台を陣取るためだとどこかで見聞きしたことがある。トトがこうして玄関でじっと待っているのも、大当たりの予感がするからではないのだろうか。一晩で三回もカナブンが出てくれば、トトにとってはかなりの大当たりデイだろう。

 ともあれトトのおかげでカナブンの入り口がわかった。私はさっそく隙間テープを買い、玄関ドアの上部にそれを貼りつけた。

 読みは正しかった。ぴたりとカナブンは入ってこなくなった。私はほっとしたのだが、トトは大当たりの日が忘れられないらしく、毎日毎日夜になると玄関で待機している。不憫ではあるが、トトのつかまえてきたカナブンを拾って外に逃がす、という作業をしなくてよくなって、私は一安心である。

 カナブンが入ってこなくなって二週間ほどが過ぎると、トトももうあきらめたのか玄関待機はしなくなり、バリバリボウルで寝ることが増え、私もすっかりカナブンのことは忘れていた。

 ある晩、食後に映画を見ていると、久しく聞くことのなかったトトの、「とったど~!」という野太い声が響いてきた。トトは人間が見にいくまでそうして野太く鳴き続けるか、獲物を持ってくるので、映画を一時停止して立ち上がった。そのとき、トトの手から逃げたらしいカナブンが玄関方面からリビングにきて、窓ガラスにあたり、ペンダントライトにあたり、ぶんぶんかちんかちんと騒がしく音をたて飛びまわっている。するとトトが、近ごろでは見たこともないくらいのハイスピードで走ってきて、カナブンを追いかけまわし、ジャンプして追い落とそうとしている。猫らしい機敏な動きにあっけにとられて立ち尽くしていると、ジャンプしたトトが前脚でパン! とカナブンを払って床に落とした。びっくりした。バレーボールの強烈アタックのようだった。まったくトトらしくないあまりの俊敏で的確な動きに、「うわあ!」と思わず声が出た。あわてて容器を落ちたカナブンにかぶせて、いつものように外に逃がした。

「すごい!」振り返って私は叫んだ。以前のようにトトのプライドを満足させるためではない、このときは、トトのみごとな動きに心から驚き、畏怖すら感じたのである。「トト、今のすごかった! ぱーん! って下に落としたの、すごかった、みごとだった、ぱーん! って、あれかっこよかった!」私は言った。このときのトトは、カナブンを外に出された「ちっ…………」という顔つきもせず、自分でも達成感を抱いたのか、私の心からの褒め言葉に感じ入ったのか、満足そうにテーブルに前脚を揃えて座り、毛繕いをはじめた。

 この日以来、またカナブンは入ってこなくなり、私もトトも、夏のカナブン祭りのことは忘れつつあった。夏が終わり、仕事場にほぼ缶詰だった家の人が帰ってきたあるとき、トトがまた玄関まで走っていった。すわカナブンか、と思ったが、羽音はしない。トトは手ぶらでリビングに戻ってきて、ちらりと家の人を見ている。その姿を見て私ははっとした。トトはあの勇姿を、家の人にも見せたいのだ! あの手放しの褒め言葉を、家の人からもかけられたい、あるいは褒められているところを見せたいのだ!

 そう悟った私は、「このあいだトトはすごかったんだよ、ぶんぶん高いところを飛びまわるカナブンを、こーんなに高くジャンプして、ぱん! って一発で落として、そりゃあもうかっこよかったんだよ、見せたかったなあ!」と、トトにも聞こえるように大げさに家の人に話してあげたのだった。

つづく

角田光代(かくた・みつよ)
1967年神奈川県生まれ。90年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。2005年『対岸の彼女』で直木賞、06年「ロック母」で川端康成文学賞、07年『八日目の蟬』で中央公論文芸賞、12年『紙の月』で柴田錬三郎賞、『かなたの子』で泉鏡花文学賞、21年『源氏物語』の訳業などで読売文学賞受賞。

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