【試し読み】ひきなみ #3 |千早 茜
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【試し読み】ひきなみ #3 |千早 茜

千早 茜さんの『ひきなみ』(角川書店)が、4月30日に発売しました。刊行記念として、本作の魅力がたっぷり詰まった冒頭を大公開!
ぜひお楽しみください。

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【あらすじ】
私たちずっと一緒だと思っていたのに。
彼女は脱獄犯の男と、島から消えた。

小学校最後の年を過ごした島で、葉は真以に出会った。からかいから救ってくれたことを機に真以に心を寄せる葉だったが、ある日真以は島に逃げ込んだ脱獄犯の男と一緒に島から逃げ出し、姿を消してしまう。裏切られたと感じた葉は母に連れられ東京へ戻るが、大人になって会社で日々受けるハラスメントに身も心も限界を迎える中、ある陶芸工房のHPで再び真以を見つける。たまらず会いに行った葉は、真以があの事件で深く傷ついていることを知り――。女であることに縛られ傷つきながら、女になりゆく体を抱えた2人の少女。大人になった彼女たちが選んだ道とは。


 商店街には大きな屋敷が八つあると祖母が話してくれた。八籠と呼ばれていて、船が帆をかけていた頃は繁昌していたそうだ。八籠は宿をかねた商家で、風や汐を待つ船乗りたちが泊まっていた。いまは三つの家しか残っていないけれど、空いた屋敷は村で使っていて、今晩はそのうちのひとつで、寄合という月に一度の集まりがあると言う。
 暗くなると、祖母と祖父は私を連れて家をでた。祖母の風呂敷包みからは酢飯の匂いがした。引き戸に鍵をかけないことに驚いたが、どこの家もそうらしい。
 ぽつんぽつんと立つ電信柱の薄暗い灯りでは足元が見えにくく、商店街に着くまでに私は何度も転びかけた。風が吹くたび、草木がざわざわして、心臓がはやくなった。山のほうにはシシがでる、と祖父が言った。「ここのシシはみかんを食っとるからうまいんじゃ」と罠で山の生き物を獲る方法を楽しげに話す。シシが猪のことだとようやくわかった頃、商店街の中の屋敷に着いた。人の笑い声が道までもれてくる。
 中に入ると、広い土間があった。天井が高く、太い梁の奥は暗くて見えない。すのこ板のまわりにたくさんの靴がばらばらに置いてある。祖父はさっさと板の間にあがった。祖母が祖父の靴をそろえて隅に置く。
「葉ちゃんはこっちじゃ」と私を手招きして、暗がりのほうへ行く。湿った土の匂いがする冷たい空気が流れてくる。テレビの時代劇で見るようなかまどの横を過ぎると、蛍光灯の白っぽい光が目をさした。大きな台所があって、祖母のような割烹着を着たおばあさんやエプロン姿
の女の人がいた。みんないっせいにこちらを見る。
「おや、松戸さんとこの」
「あら、かわいい。名前は?」
「洋子ちゃんはどこじゃ」
「よう似とるのう」
 聞き取れる言葉もあったが、祖母のような話し方の人もいた。けれど、みんなが一度に口をひらいたのでぜんぶが混ざってしまい、「葉です」と頭を下げることしかできなかった。大人しそうだとか、お洒落だねえ、といった声が聞こえた。じろじろ見られて、恥ずかしくなる。
 祖母が私の背中を押して靴を脱ぐよう耳元で言う。廊下を挟んで畳の広間があった。襖が抜いてあって、すごく広い。台所に近いところで子供たちがかたまりになっていた。「まぜてもらうんじゃ」と祖母は勝手なことを言い、台所へ行ってしまった。
 広間に入り、子供たちの一群にそっと近づく。女の子ばかりで七、八人いる。年齢はばらばらのようで、妹らしき幼い子と手をつないでいる子もいた。船で会った女の子はいないようだ。
「東京からきたんじゃろ」
 髪の短い子が話しかけてきた。ちょっと前歯がでている。子供も年寄りみたいな話し方をするんだとがっかりしながらうなずく。
「そのパーカーかわええのう」と横から手が伸びてきて、私のフードのぽんぽんのついた紐を触った。「スカートもお菓子の柄じゃ」スカートにプリントされたショートケーキやキャンディーを小さな子がひっぱって取ろうとしている。
 嫌だな、と顔にでそうになる。買ってもらったばかりの内ボアの白いパーカーだ。汚されたくない。
 祖母は台所の女の人たちと楽しそうに喋っていてこちらをまったく見ない。祖父の姿を探す。広間の奥であぐらをかいて酒を注がれている。もうほんのりと顔が赤い。その後ろに神棚が見えた。近づこうとして、あれっと思った。
 広間は二つの畳の部屋がつながっていて、奥の神棚がある部屋には男の人しかいない。ときどき女の人が入っていくが、座らず、皿やコップやビール瓶を置いてはすぐに戻ってくる。男の子たちは自由に走りまわっているが、女の子たちはこっちの部屋から動かない。
 部屋と部屋とのあいだに、見えない線が引かれているみたいだった。
「食べ」と女の人にうながされ、低い長テーブルの前に座るが、こちらの部屋の長テーブルには食べ物はあっても酒はない。座布団もない。祖母たちはほとんど座らずに、台所と広間をいったりきたりしている。
 祖父たちは座ったきり動かず、大声で話したり笑ったりしていた。みかんの名前の「香姫」と「橋」という単語が何度も聞こえてくる。すぐに、「橋」とは船着き場から見えたみかん色の橋のことではなく、本州から四国まで島と島をつなげる新しい橋のことだとわかった。もうすぐ開通するようだった。「観光客を」と誰かが言った。香姫を使ってなにか作れないか考えているようだった。
 ぼんやり話を聞いていると、背中にどんと衝撃があった。男の子が「いってえ!」と大げさに畳に転がる。
「ごめんなさい」
 私のせいではない気がしたが謝ると、まわりの女の子たちが「あんたが悪いんじゃろー」と男の子を責めた。男の子はにやにやして「なんじゃ、なんじゃ」と立ちあがると、私の頭を指した。
「こいつ、頭にパンツ巻いとる!」
 他の男の子が噴きだして、「ほんまじゃ」「パンツ! パンツ!」といっせいに笑う。わけがわからず頭が真っ白になる。そろそろと髪に手をやる。お気に入りのヘアゴムに指が触れると、「パンツ!」の声が大きくなった。
 これか。ふたつに結んだ髪の、両方のヘアゴムをつかんで取る。手にぎゅっと握ってうつむいていると、後ろを誰かがすべるように歩いていく気配がした。
「邪魔」と声が響く。低いけれど、はっきりと通る声だった。
 男の子たちが黙り込む。つまらなくなったのか、どすどすと足音をたてて行ってしまった。
 ほっとして顔をあげる。同じ長テーブルの離れたところに、船で会った女の子が座った。大きすぎるウィンドブレーカーを着たままだ。エプロン姿の女の人が皿を渡す。女の子は軽く頭を下げると、大皿の巻き寿司やフライをひょいひょいと箸で取って食べはじめた。こっちを少しも見ない。私のまわりの女の子たちも彼女がいないような顔をしている。
「相手にせんで正解よ、あいつらアホじゃけえ」
 一番年上っぽい女の子が言った。みんながうなずく。
「でも、ちょっとパンツ言うのもわかるのう」
 目の細い子が笑って、「見してな」と手を伸ばしてきた。ピンクの水玉のほうを渡す。
「好きな布にゴムを通してくしゅくしゅってすればできるよ」
 母と作ったものだった。「かわいい」という声と「パンツは嫌じゃわ」という苦笑がいりまじる。「でも、こんなん腕に巻いてるんを雑誌で見たことあるで」と年上っぽい子が言って私に返してくれた。
 どうでもいいと思った。からかわれるのも、話題にされるのも嫌で、ヘアゴムを手首に通しパーカーの袖で隠した。早く食べて帰ってしまおう、と近くの大皿からおかずを取る。
 隣に座った前歯のでている子が「なあなあ、海で泳いだことある?」と聞いてきた。
 首を横にふる。口に入れたタコの刺身が嚙みきれなくて返事ができない。
「東京の子は泳げんじゃろ」
 誰かが笑いながら言う。プールで泳いだことはあったが、めんどうくさくて、うなずく。
「うちが教えちゃるけえ」
 前歯のでている子は、鼻の穴をちょっとふくらませて得意そうにしている。
 別に海で泳ぎたくなんかない。あんなに広いのだから、泳いだってどこへもいけない。だから、船や橋があるんじゃないのか。
 どうせ三ヶ月だ。夏までなんだし泳ぎを覚える必要なんかない。そう心の中でつぶやいて、携帯電話を思いだした。確か、母が夜に電話すると言っていた。
 テーブルの下でそっと見る。一瞬、一本だけ電波をしめす棒がたって、またすぐに圏外になった。がっかりしていると、「あ!」と隣の子が声をあげた。
「携帯電話、持っとる!」
 すごい、すごい、とざわめきがひろがる。
「うちのいとこ、持っとるよ」
「大学生じゃろ」
「さすが東京の子じゃのう」
 見せて、と伸びてくる手にぶんぶんと首を横にふった。「これはお母さんのだから」と噓をつく。手を後ろにまわして隠そうとしたら、ぱっと感触が消えた。
「イエー、ゲット!」
 大声で叫んで、だだだだっと男の子が走っていく。さあっと血の気がひいた。立ちあがって追いかけようとしたが、奥の部屋の手前で足が止まった。座布団にあぐらをかいた男の人たちが赤い顔でじろっと見てくる。敷居の向こうに女性はいない。酔った男の人たちは目が血走っていてなんだか怖い。男の子たちは奥の部屋で「パス、パス」と携帯電話を投げ合っている。
「返して」と言っても無視される。男の人の一人がうるさそうに私を見てなにか言った。慌てて戻る。男の子たちのせせら笑いが背中に刺さった。

次回は5月3日更新です。

千早 茜(ちはや・あかね)
1979年北海道生まれ。2008年『魚神』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。同作で泉鏡花文学賞も受賞。13年『あとかた』で島清恋愛文学賞受賞。著書に『男ともだち』『神様の暇つぶし』『さんかく』『透明な夜の香り』や『犬も食わない』(尾崎世界観との共著)、『鳥籠の小娘』(絵・宇野亞喜良)、エッセイ集『わるい食べもの』など。

ひきなみカバー

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