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かつてひとりで酒を飲んでいた父の視線は、どこにも向けられていなかった。  「骨灰」#18

小説 野性時代

得体の知れない怪異と不条理が襲いくる――。
鬼才が放つ、戦慄の長編ホラー。

天地明察』『十二人の死にたい子どもたち』「マルドゥック」シリーズ。
ジャンルを超越しベストセラーを生み出す鬼才・冲方丁が綴る長編ホラー小説「骨灰」(こっぱい)。『小説 野性時代』2021年9月号から満を持してスタートした連載を、順次配信していきます。(連載の続きがすぐに読みたい方は本誌をぜひ!)
建設現場で遭遇する不可解な事象、それをきっかけに身の回りに忍び寄る怪異、侵食されていく現実――。《からからに乾いた》戦慄のホラー小説をぜひお楽しみください。

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「悪かったな、付き合わせて。そろそろ寝たほうがいいんじゃないか」
「そうする。あなたは寝ないの?」
「これを片づけたら寝るよ」
 光弘はテーブルに広げられた書類のほうに顎をしゃくって言った。
 美世子がうなずきながら、遠くにあるものでも見るように書類を眺めた。
「会社に戻ったとき、私の仕事あるかな」
「そりゃあるだろう。部署でも頼られてたのは間違いないんだから」
「だといいけど」
 美世子がため息をついたが、心底不安でたまらないというほどではなさそうだった。出産したら辞めさせられるという恐怖心は、咲恵を出産したときのほうがずっと強かったものだ。当時に比べても、寿退社や妊娠をきっかけにした退社は、過去のものになりつつある。経済的に、そういうわけにはいかないというのも事実だった。
 美世子の目が、ちらりとコップに注がれたソーダ水に向けられた。
「本当は一杯やりたいんでしょ。いいのよ、少しくらい」
 正直その通りだった。夕食の席で不快なインターホン攻撃を受けたことも影響しているのだろうと思いつつも、光弘はかぶりを振った。
「もともと家で飲むのは好きじゃないしな。飲んべえだった親父を見てたせいで」
「一緒に飲んであげたら喜んだわよ、きっと」
 美世子が鷹揚に言った。
「かもな」
 光弘は笑ったが、脳裏では父が黙々とワンカップの中身を口に運んでいる姿が思い出されていた。その視線はどこにも向けられておらず、心の中の暗い何かをじっと見つめているようだった。そんな父の姿を見るたび、どうしてそんな風になったのかというより、いつからそうなったのかと思わされたものだ。いつから暗い何かが父の内側に巣くうようになってしまったのだろうと──
「親父みたいに肝臓を壊すのはごめんだし、長生きしたいよ」
 つい病気や死を連想させる言葉を口にしてしまったが、幸い、美世子を悪い意味で刺激することはなかったようだ。
「もちろん、そうしてくれなくちゃ。ね」
 美世子が笑顔で、大きなお腹をさすった。光弘にではなく、まだ見ぬ我が子に呼びかけているのだ。光弘も微笑み、手を伸ばして美世子のお腹を撫でた。
「じゃ、もう寝るね」
 美世子が言った。ほとんど欠伸に言葉が吞み込まれていた。
「ああ、おやすみ」
 美世子が寝室へ行くのを見送ってから、光弘はソーダ水をちびちびやりながら、さして何も考えず、書類を手に取った。
 確かに、めくるほどに書類が古くなっていくようだった。どこまで古くなるのか興味を刺激されて見てゆくと、最後のほうでデータではなく覚書の写しが出てきた。
 ごく短い文言で、『明治四十年』の『開業』に際し、『玉井社』が『水神祀り』を『壹萬圓』で執り行うという『約定』を記したものだ。支払いは『玉川社』がするのだが、『玉井社』と混同して少々困惑させられた。
 明治四十年って、何年前だ?
 携帯電話を手に取って検索した。明治四十年は一九〇七年で、当時の一万円は、現代で一千八十八万円ほどの価値になることも、ネットの情報でわかった。
 何が開業したか? 玉川電気鉄道玉川線のしぶ駅そのものだ。
 さらに、同様の覚書の写しが何枚もあった。どれも、『玉井社』ないし『玉井工務店』と交わされたものだ。
 一つは、明治四十年から約三十年後の、昭和十三年すなわち一九三八年に交わされた覚書だった。東京横浜電鉄が、玉川電気鉄道を買収し、東京高速鉄道・渋谷駅の開業に合わせて、玉電ビルを建設している。その際、『地鎭祭』に加えて『水神祀り』が行われていて、費用は物価の上昇を反映してか『伍萬圓』だった。現代では一千万円ほどだ。
 さらに十六年後の、昭和二十九年すなわち一九五四年、玉電ビルが増改築されて会館となったときも『使料』という名目で、玉井社こと『玉井工務店』が何かを執り行ったようだった。支払は当時のシマオカ本社で、費用は『百萬圓』だ。ずいぶん物価が上昇したことがみてとれる。現代では一千二百万円ほどになるらしい。
 なおその後、この会館は百貨店の西館となっている。今ちょうど東棟の建設と並行して、解体計画が進んでいる建物だった。
 その十年後、昭和三十九年すなわち一九六四年には、『追加』の『御饌使料』が玉井工務店に支払われている。この年の東京オリンピック大会に際し、カマボコ屋根で知られた東急東横線地上駅舎が整備されたのだが、その事業に関連してのことだ。
 費用は『貳百伍拾萬圓』なり。これも現代で一千万円ほどらしい。
 物価の上昇と正確に費用が比例していることから、土地の価格といった他の何かを基準にして支払われているのかもしれなかった。
 さらに十三年後の、昭和五十二年すなわち一九七七年にも、『御饌使料』として『四百萬圓』が支払われている。新玉川線こと後年の田園都市線が開通した年だ。
 この年から渋谷駅では電車を乗り降りすることなく都心方面へ行けるようになったのだが、同時に地下での乗り換えが不便になったことを、光弘はシマオカ本社の再開発事業の資料で知っていた。改札への動線が複雑化し、階段を上り下りせねばならない「渋谷駅の迷宮化」が始まったのだ。
 その十九年後の、平成八年すなわち一九九六年には、『地鎭祭』と『水神祀り』の費用『壹千萬圓』が『玉井工務店』に支払われている。JR埼京線の開通のため、渋谷駅が南へ拡張され、新南口改札とホームが造営されたのだ。駅ビル建設に伴うものだろう。
 覚書はそれで最後だった。社の資料室を漁ればもっと見つかるかもしれないが、シマオカとの関係を知るには十分だろう。いや、シマオカというよりこの土地との関係というべきか。
 つまり百年以上前から、渋谷駅の開発に伴う神事を司っているのが、玉井社こと玉井工務店であるというわけだ。どんな儀式であるにせよ、『水神』という言葉には意外なものを感じさせられた。
 何しろ地下でからからに乾いた空気に襲われたのだ。水神がどんな存在かもわからないが、すでにあの土地から立ち去ったに違いない。
 それとも、地下にあったあの神棚にはまだやどっているのだろうか? だから、神棚のそばの空気だけは清浄だった──

つづく

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