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あるはずのない重機。違和感だらけの空間に、金属音が響く。 「骨灰」#8

得体の知れない怪異と不条理が襲いくる――。
鬼才が放つ、戦慄の長編ホラー。

天地明察』『十二人の死にたい子どもたち』「マルドゥック」シリーズ。
ジャンルを超越しベストセラーを生み出す鬼才・冲方丁が綴る長編ホラー小説「骨灰」(こっぱい)。『小説 野性時代』2021年9月号から満を持してスタートした連載を、順次配信していきます。(連載の続きがすぐに読みたい方は本誌をぜひ!)
建設現場で遭遇する不可解な事象、それをきっかけに身の回りに忍び寄る怪異、侵食されていく現実――。《からからに乾いた》戦慄のホラー小説をぜひお楽しみください。


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 パイルドライバー?
 形状はショベルカーに似ているが、アームの代わりに杭打ち機とポンプがついている。ピュアパイル工法という、地中にコンクリートの杭を形成するための重機だ。
 今は、杭打ちのための三点支柱もポンプもたたまれていてコンパクトに見えるが、組み立てれば十数メートルの高さになる。地面に打ち込むための杭であるコンクリートパイルも、重機のそばに横たえられていた。
 杭を打つための重機が地底にあることは理解できるが、いったいどうやってこんな場所に運んだのか? 階段で運べるものではないから、クレーンで吊って吹き抜けを下ろしたとしか思えない。そのあとで、吹き抜けに蓋をし、重機ごとこの空間に封印したとでもいうのか? それとも、この吹き抜けは地上へ通じているのか? まさか。これほど深い穴をあけたままの区画などないはずだ。
 何一つとして理屈に合わなかった。
 そもそも、杭工事など全て終わっているはずだ。「杭」が建設業界で最も敏感な話題となっている今、その工期に変更があれば光弘だって知っていなければおかしい。追加工事があるならなおさらだ。
 しかも、真っ白い重機を地下で使用するなど聞いたことがない。
 重機の機体色に規定はないが、事故を防ぐために危険色と呼ばれる黄色などの明るく目立つ色にするのが当たり前だ。日中の山の開削なら白い重機も目立つだろうが、地下ではまったく不合理だった。照明を浴びれば、かえって壁に融け込んでしまうだろう。実際、光弘も、今の今まで暗がりにいるそいつの存在に気づかなかったほどだ。
 なんでこんなものを用意した? それともこれから機体のカラーリングをするのか?
 何から何まで辻褄の合わないそれに、近寄ってみようと体の向きを変えたとき、異変が起こった。
 じゃらり● ● ● ●
 いきなり金属音が聞こえ、光弘はぎょっと後ずさった。
 穴のほうからだ。ついで、かすかにうめくような声がし、光弘を仰天させた。
「だっ……誰か、いるんですか?」
 大声で呼びかけたつもりだが、掠れ声しか出てこなかった。またぞろ喉のひりつきを感じながら、あることに思い当たった。そうだ● ● ●ドアは開いていたじゃないか● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●
 誰かがここにいる可能性についても考えるべきだった。もしかするとその誰かは、神棚のそばにある電球のスイッチを入れようとして穴に落ちたのかもしれない。
 恐る恐る穴の縁の向こうを覗き込み、その底にいるはずの誰かへ呼びかけようとして、絶句した。
 穴の底は、光弘が立っている場所同様、平らな剝き出しの土面だった。
 そこに、ゴミが散乱しているのが見えた。ペットボトルや、食べ物の包装紙とおぼしきものだ。
 それらに囲まれ、壁に背を預けて足を投げ出す、誰かがいた。
 寝ているのか意識がないのか、ぴくりとも動かない。ぼうぼうの髭を見る限り、男に思われた。ゴマ塩の髪は伸びきってぼさぼさで、やたらと厚着をしたコートやズボンは、いかにも薄汚れてみすぼらしい。
 ホームレスが住みついた? 思わずそう解釈した。そんなはずはなかった。
 警備や作業員の目を盗んでこんな場所に住みつけるものではない。確かに駅周辺では再開発に伴い、それまで公園やガード下で寝泊まりしていたホームレスたちが追い払われてはいるが、だからといって工事現場に潜り込むのは不可能だ。
 どうやって入ったかも、どうしてそこにいるのかもわからないまま、光弘は、相手の左足に妙なものがついていることに気づいた。汚れて元の色もわからないスニーカーのくるぶしの辺りに、ヘッドライトの光をね返す金属の輪が見えるのだ。その輪から太い銀色の鎖がのびており、光弘の足の下の見えない場所へと続いている。
 光弘は怖々と両膝をつき、軍手をはめた左手を穴の縁にかけて、下を覗き込んだ。
 コーン型のコンクリート・ブロックがあった。防波堤のテトラポッドの脚みたいだ。とても一人の人間が持ち運べるものではない。
 鎖は、そのブロックに十字に結びつけられていた。錠か何かで固定されているのだろう。
 住みついたんじゃない。
 光弘はようやく自分が見ているものを理解した。
 状況を上手く説明できる理屈はまったく思いつかなかったが、とにかく相手がどのような状態であるかは、はっきり見て取れた。
 深い地下空間に掘られた、大きな穴の底で、一人の人間が、鎖でつながれているのだ。



つづく

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