【連載】明日も一日きみを見てる 第11回 | 角田光代
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【連載】明日も一日きみを見てる 第11回 | 角田光代

小説 野性時代

「小説 野性時代」で連載中の大人気エッセイをnoteでも特別公開!
毎月22日(にゃんにゃんの日)に更新予定です。お楽しみに!

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人間の食べものにはあんまり興味のないらしいトト。
執着するのは海苔だけ、と思っていたけれど、
目を離した隙に、家飲み用にテイクアウトした生ハムを食べていた……。

第11回 家飲みとハム事件

 トトは食い意地がはっていない。食べものにあんまり興味がないようだ。朝におなかが空いて人を起こすということをまずしない。というより、夜型生活の家の人が起きる昼過ぎまで、隣で寝ている。

 人間の食べものにも興味がない。今まで激しい興味を示したのは、海苔だけだ。海苔にたいする執着については拙著『今日も一日きみを見てた』に書いた。が、海苔は猫にはよくないらしいので、私たちは海苔を隠し食べするようになった。
 どうやらあの人たちは隠れて海苔を食べている、なぜなら私に見られたくないからだ、とトトが承知したのかどうかはわからないが、あるときから、海苔についてトトは諦めるようになった。海苔が見えても、ちら、ちら、とじっとりした視線を寄越すだけで、近づいてこない。
 こうまで食に興味がなく、食べてはいけないらしいと知ると引き下がってくれる猫だと、こちらもそのつもりで暮らしている。長時間置きっぱなしにするということはないが、食材を台所に出したまま、料理ののった皿をテーブルに置いたまま、ほかのことをする、なんてことは日常的にある。

 コロナウイルス感染拡大防止のため、都の要請で、飲食店の営業時間が短縮されたばかりのころ。居酒屋では落ち着いて飲めないから、ということで、友人が遊びにくることになった。私は室内を軽く掃除し、家の人はいつもいく居酒屋のつまみをたくさんテイクアウトしてきて、盛りつけていた。
「あーっ」と響く家の人の声にびっくりしてリビングにいく。トトはテーブルの下で何ごともなく毛繕いをしている。どうしたの、と訊くと、「トトがハムを食べた」と家の人が言う。

 見るとテーブルには生ハムののった皿が出ている。スペイン産の生ハムの皿を出してほんの一瞬目を離した隙に、トトがごくごくふつうにそれを一枚、へちゃへちゃと食べていたというのである。
「トトちゃん!」しれっと毛繕いを続けるトトの両脇に手を入れて抱き上げ、家の人が言い含める。「ハムなんか食べちゃだめじゃん! トトちゃんのじゃないよ! あんな塩っ辛いもの、トトちゃんの体にはよくないよ!」 𠮟られるトトはだらんとなすがままに脱力し、家の人と目を合わさずに、うつろに遠くを見ている。
 ああ、𠮟られているのがわかっている顔だ……。

 今までトトは二回、盗み食いをしたことがある。一度目は焼売ひとつ、二度目はさつま揚げを一口。どちらも私が一瞬台所を離れた隙に食べて、戻ったときにはトトはもうひとつの定位置、ハンモックで知らんふりして毛繕いをしていた。焼売はまるまるひとつ食べたので、なくなったことに最初は気づかなかったほどだ。さつま揚げは、端っこにちいさな歯形がついていたのでわかった。このときも私はトトの両脇に手を入れて抱き上げ、トト、食べたらいけないものを食べたよ、と𠮟ったのだが、やっぱりトトはぶらーんとして、うつろに遠くを見ていた。けっして私と目を合わせなかった。𠮟られているなあ、いやだなあ、早く終わんないかなあ、と思っているのだろう。

 結局ハムは処分し、ほかの料理を注意深く並べていったのだが、𠮟られたトトはそれらの皿には見向きもせず、バリバリボウルにまるまって寝ている。……というできごとを、日がたつにつれて私はすっかり忘れてしまった。東京都は、飲食店の時短営業だけでなく、酒類の提供までやめるように呼びかけ、私の住む町では多くの居酒屋やバーが休業し、営業している店舗はノンアルコールと食事提供だけになった。微の微の微力ながら、好きな飲食店はなんとか応援したくて、以前よりよくテイクアウトを利用するようになった。

 そんなあるとき、夕食の準備をしていて、ある皿をテーブルに置き、べつの皿を流し台から持ってきてテーブルに置こうとした私は、目撃したのである。まったく自然に、自分のために用意されたかのように、トトがへちゃへちゃと皿にのったハムを食べているのを。
 一瞬である。ハムの皿を置いたとき、トトはバリバリボウルで寝ていた。ハムの皿を置き、流し台の皿を取るために背中を向けた、二、三秒ほどのあいだに、音もなくトトはテーブルに移動し、ハムを食べているのである。食べるその姿の、あまりの自然ぶり、当然ぶりに、私は一瞬声を失った。

「トトちゃん!」と叫ぶとトトはびくりとしてテーブルから降りる。すかさずつかまえ、脇に手を入れて顔の高さに持ち上げて、「トトちゃん、このあいだ𠮟られたばかりじゃん、人の食べものはトトの体によくないんだよ、盗み食いはだめだよ」と言い募る。トトは私と目を合わさず、またうつろな目をし、しかし今回は脱力せずに、何か強い抗議をするかのように前脚を私の顔にびーんと押しつけてくる。
 そうですね、出すほうが悪い。一秒にせよ二秒にせよ、出しておいて、背を向けるほうが悪い。

 そうしてわが家ではハムは要注意食品に認定され、たった一秒でもテーブルに置いておかれることはなくなった。不思議なのは、人が食べているハムにはトトは興味を持たないことだ。ただ、それが皿にのってテーブルに置かれると、なぜか、自分への供物と思うのか、驚くほど自然に、当然のように、食べるのである。

                               つづく

次回の更新は3月22日(火)の予定です🐈

角田光代(かくた・みつよ)
1967年神奈川県生まれ。90年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。2005年『対岸の彼女』で直木賞、06年「ロック母」で川端康成文学賞、07年『八日目の蟬』で中央公論文芸賞、12年『紙の月』で柴田錬三郎賞、『かなたの子』で泉鏡花文学賞、21年『源氏物語』の訳業で読売文学賞など受賞。

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