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【連載】明日も一日きみを見てる 第18 回 | 角田光代

小説 野性時代

「小説 野性時代」で連載中の大人気エッセイをnoteでも特別公開!
毎月22日(にゃんにゃんの日)に更新予定です。お楽しみに!

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ぬいぐるみやおもちゃのなかにも
許せるものと許せないものがトトにはあるらしい。
その線引きはどこにあるのかと思っていたら……。

第18回 かわいさと破壊行動事件

 トトは自分よりかわいいものを許さない傾向がある。
 もちろんこれは、人間側の考察にすぎない。客観的に考えてみれば、はたして猫にかわいい、かわいくないの判断ができるか疑問である。まして「私よりもかわいいか、私よりはかわいくないか」などという判断ができるはずもない。
 そうは思うのだけれども、やはり何かトト的に「これは許す」「これは許せん」という線引きがあるように思えてならない。

「これは許す」という分類には、各種猫用おもちゃがある。友人知人がトトに持ってきてくれるおもちゃは、私から見てかわいいものが多い。吊り下げて遊ぶタイプのタコや、前脚でつつきながら追いかけて遊ぶタイプのねずみや、抱っこキックするためのヘビなど、かわいく作る必要もないと思うのに、きちんとかわいく作ってある。けれどそうしたおもちゃをトトはとくにかわいいとは思っていないようだ。また、おもちゃとしてもあまり遊ばない。
 かわいいとは思わないし、おもちゃにもしないが、それが近くに置いてあるのはまったくかまわない、という態度である。トトのハンモックにはタコがぶらさがっていて、ねずみたちは所定の位置に置かれている。
 それらとはべつに、トトのおもちゃではないのに、あきらかに気に食わない、おもしろくない、という雰囲気を醸し出す「もの」もある。

 そうしたトトの様子に気づいたのは、今を遡ること八年。私と家の人がトルコを旅した際、市場で猫のぬいぐるみを見つけ、これはトトがよろこびそうだと言い合って購入した。ちいさな真っ白い猫で、背中のボタンを押すと電池で動き、ナーオと鳴く。
 これを持ち帰ってトトの前で動かしてみたところ、トトは猫から目をそらし、かたくなに見ようとしない。トトが寝ている場所の隣にそっと置くと、トトはぬいぐるみと反対側に顔を向け、距離を置き、やっぱり見ようともせず触れようともしない。あきらかに「気に食わない」という主張がある。
 見慣れたらそんなこともなくなるのではないかと思って、猫タワーの段上に置いておいた。が、ふと気づくと床に転がっている。その場面を見たことはないが、トトがはたき落としているのだろう。
「気に食わない」「存在を認めない」というトトの無言のオーラに根負けして、私たちは猫のぬいぐるみをしまいこんだ。

 その次は猫の貯金箱だった。家の人がどこからか入手したものだ。手のひらにのるサイズのプラスチック製みかん箱で、上部にくぼみがある。そこに硬貨を置くと、みかん箱から猫があらわれて、ニャーオと鳴きながら片前脚で硬貨をみかん箱に落とす、というからくり貯金箱である。からくり貯金箱自体はじめて見た私は、猫が出てきて、しかも鳴きながら硬貨をしまうことに非常に驚き、はじめてそのさまを見たときは言葉を失ったほどだ。
 家の人はトトがよろこぶと思ったのか、トトを呼び、硬貨を置いて猫が出てくるところを見せた。トトはこのときは目をそらすことはなく、私のように驚いたのか、身じろぎもせず凝視していた。何回かそれをやって見せてもずっと凝視している。もしかして、猫が出てきて硬貨をしまう様子をトトはたのしんでいるのかもしれないと思っていたのだが、あるとき、家の人がトトの前で硬貨を置き、からくり猫がニャーオとあらわれたところ、トトが、アッアッとえずいて、ゲボーッと吐いたという。貯金箱から猫が出てくる様子に驚きつつ、しかしそのおもちゃの猫がものすごくいやだったに違いない、いやすぎてゲーが出たのだろう、と私たちは解釈し、その貯金箱もトトには見えないところにしまいこんだ。

 このころから、トトには許せるものと許せないもの、黙認できるものとできないものがあるらしい、と私たちは学んだ。しかし学んだのはそのことだけで、その線引きまではわからなかった。
 数年前、在住区の仕事をした際、区役所の人に区のキャラクターのぬいぐるみをもらった。私の区のキャラクターは妖精という設定になっていて、妹もいる。その妹のぬいぐるみだった。このきょうだい、イラストもかわいいが、ぬいぐるみもとてもかわいい。
 トトはピンク色が好き(と私は思っている)なので、ピンク色のそのぬいぐるみも好きなのじゃないかと思って、香箱を組んでいるトトの隣に置いてみた。見ない。見ないばかりか、ふと目を離した瞬間に、ぬいぐるみに尻を向けて香箱を組んでいる。しかも微妙に距離が空いている。そんな、一瞬で位置を変えるほど気に食わないのか。

 このとき私は気づいたのである。トトが許せないものとは、トトっぽい感じにかわいいものだ! つまり、自分よりかわいい気がするものを許せないのだ! タコならいい、ねずみならいい、ヘビならいい、でもちいさくとも猫のぬいぐるみはいやだし、みかん箱から登場する猫もいや、自分の半分くらいの大きさのもこもこしたぬいぐるみもいや。「私よりかわいいから」いやだ、とはよもや自覚していないだろうけれど、なんとなく本能的に、自分っぽくかわいいものを敵視する傾向はあるのではないか。
 …………と思っていたら、意外なものが標的となった。お雛飾りである。
 実家を出てからずっと、自分のためのお雛飾りなど持たず、興味もまったくなく過ごしていたが、五十歳間近のあるとき、ふと見かけたお雛飾りが気に入って、購入した。人差し指ほどのお内裏さまとお雛さまで、屛風や桃の木やぼんぼりは別売りになっている。人形二体と、桃の木など何点か購入して、自宅の棚の一角にミニチュアお雛飾りコーナーを作った。

 出かけて帰ってくると、このお内裏さまとお雛さまがいつも床に転がっている。トトが走りすぎたり近くで尻尾を揺らしたりして落ちてしまうのだろうと想像し、見かけるたびに元に戻していた。
 ところがあるとき、見てしまったのだ。トトがこのお雛飾りにすーっと近づいて、座り、片前脚でぱん! と人形二体をはたき落としているのを。同じくらいの大きさの桃の木やぼんぼりには、けっしてそんなことはしないのに。

 あ、トトちゃん…………お雛さまたちはまったくトトっぽい感じではないけど、でも何かしゃくに障るのね…………かわいいということがわかるのね…………。そうは思いつつ、毎年二月の半ば過ぎからお節句までの短い期間のことなので、このお雛さまたちを毎年出していたのだが、ある年、お内裏さまもお雛さまも、トトによって顔をがじがじに嚙まれていて、髪も顔ももうなくなり、干からびた梅干しの種みたいになっていることに気づいて衝撃を受けた。なんだか妙に迫力があってこわいので、それはそっとしまい、またあらたにちいさなお雛飾りを買い求めた。今のところ、そのあたらしいお内裏さまもお雛さまも、ありがたいことに無事である。トトの「かわいい」認定を受けていないのか、存在をまだ気づかれていないのか…………。
   
                               つづく

角田光代(かくた・みつよ)
1967年神奈川県生まれ。90年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。2005年『対岸の彼女』で直木賞、06年「ロック母」で川端康成文学賞、07年『八日目の蟬』で中央公論文芸賞、12年『紙の月』で柴田錬三郎賞、『かなたの子』で泉鏡花文学賞、21年『源氏物語』の訳業などで読売文学賞受賞。


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