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【連載】明日も一日きみを見てる 第13回 | 角田光代

小説 野性時代

「小説 野性時代」で連載中の大人気エッセイをnoteでも特別公開!
毎月22日(にゃんにゃんの日)に更新予定です。お楽しみに!

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多くの猫と同じく、トトも病院嫌いだ。
ごめんねごめんねと言いながら、
角田さんはこっそりとキャリーバッグを用意して……。

第13回 病院と絶叫事件

 ほかのたいがいの猫と同じく、トトは病院が嫌いだ。けれども嫌いだという主張はしない。そもそも何ごとにおいても、トトはあんまり主張をしない猫ではある。

 病院にいくときは、黒くてまるい、ベッドにもなるキャリーバッグに入ってもらうのだが、これを出し入れしているのをトトに見られると、病院いきがばれてしまう。ばれると一応、トトはベッドの下に隠れる。これがせいいっぱいのトトの自己主張だ。こうなるとなかなか出てきてくれないので、キャリーバッグはトトに見られないように用意をする。

 けれども不思議なもので、キャリーバッグを動かさずとも、病院にいくということをトトは気配で察する。これはトトだけではなくて、ほかの多くの猫たちもそうだろう。診察券を用意したり、「病院の予約何時だっけ?」などと口にしたりもしていない。頭のなかで、病院、と考えただけで、猫はそれを察する。つくづくすごい能力だと思う。

 だから私も家の人も、病院の日は、頭のなかでさえも「病院」と考えないようにする。いつもどおりに朝ごはんを食べたり、シャワーを浴びたりし、あうんの呼吸でひとりがトトの相手をし、もうひとりがトトの目につかないようにキャリーバッグを用意する。「病院」と考えたり、病院への道のりを思い浮かべたりしないかぎり、トトは気づかない。気づかないどころか、私の腹にのってぐるぐる音を発したりする。そこをすっと抱き上げて、無言でキャリーバッグに入れる。「あっ」というトトの心の声が聞こえる。ごめんねごめんね、すぐ終わるからね、と言いながらキャリーバッグのチャックを閉める。玄関を出る前、トトは一度だけ、にょーーーー、と鳴く。毎回、一度だけ鳴くのだ。これがトトの最後の主張だ。

 いったん外に出ると、もう鳴かない。病院までは徒歩で十分ほどだ。ときどき、鳥の声か、あるいは何かのにおいか、気になるものがあるとトトはキャリーバッグのなかで立ち上がり、網に顔を押しつけるようにして外を眺めている。病院にいくまでの道のりは、そんなにいやではないらしい。病院に着いたことがわかると、キャリーバッグの底にべったりとはりつく。

 病院はたいてい混んでいて、飼い主とともに犬や猫が順番待ちをしている。ずっと不満げに鳴いている猫もいるし、飼い主の両足に挟まれるようにして伏せている犬もいる。近くの人の顔をのぞきこんでまわる人なつこい犬もいるし、飼い主に抱きついてぶるぶる震えている犬もいる。

 ここで診察を待つあいだのトトはすごい。キャリーバッグの底にはりついたまま、ぴくりとも動かない。大型犬が太い声で鳴くと、私なんかは飛び上がって驚いてしまうが、トトは動かない。人なつこいわんこがキャリーバッグをのぞいても、トトは動かない。診察室から、猫の阿鼻叫喚が聞こえてきても、トトは動かない。バッグを膝に乗せて待っているので、トトがこわくて震えたりすればその振動が伝わるのだが、震えもしない。

 無。

 という言葉が浮かぶ。無、そのものになっている。無になれば、こわいこともない、おそろしいこともない、不安もない、何よりもう自己もない。ほかの犬も猫も私には見えないし、ほかの犬からも猫からも私は見えない、だって無だから。膝に置いたキャリーバッグから、宇宙へと通じるような「無」を感じて、私はいつも深い感銘を受ける。

 名前を呼ばれて診察室に入り、キャリーバッグからトトを出して診察台に乗せると、ぺったりと台にはりつく。先生と会話をしていると、トトはぺったりとはりついたまま、気づかれないように台を這って、椅子の上で蓋を開けているキャリーバッグに戻ろうとする。「はい、ちょっとお顔見せてね」と診察台に引き戻されると、台におなかをつけたまま、されるがままになっている。ときどき、壁を見つめてちいさく「シャア」と言う。先生には言わない。そうしておとなしく、熱を測られたり、心音を聴かれたり、注射をされたりしている。診察が終わるとわかるやいなや、一目散にキャリーバッグにみずから飛びこむ。待合室でお会計を待つあいだは、また無に戻る。

 病院でトトがとんでもない声で叫んだことが、二度ある。一度目ははじめて病院にいった一歳未満のころ。二度目は二年前、九歳のとき。どちらも健康診断の採血時で、そしてどちらも、研修生の人が立ち会っているときだ。お医者さんは研修生の人に仕事を覚えてほしいから、自分でさっとできることを彼らにやらせる。一度目と二度目で病院は異なるが、双方、うしろ足から採血するときに猫をおさえる係と、針を抜いたあと止血テープを巻く作業を、お医者さんは研修生にやらせていた。

 一度目は、研修生がトトを強くおさえつけすぎて、トトがギャーッと叫び、先生が「力を弱めて!」と叫び、動転した研修生がトトをおさえたままフリーズし、フギャーーーーッとトトが一巻の終わりのように叫び、「早く手をどけて!」と先生が怒鳴り、ようやく研修生がトトから手を離した。

 二度目は、針を抜いたあとに止血してテープを巻こうとして、研修生がテープを落とした。でも猫をおさえているからかがんで床のテープをとれない。注射した部分からたらりと血が垂れる。おさえられている時間が長いのでトトがもぞもぞと動き出している。研修生はぐっとおさえる手に力をこめる。お医者さんは教育目的なのだろう、落ちたテープを拾わずに、「ほら早く処置して」と研修生に告げている。彼は片手でトトをおさえたまましゃがんでテープをとり、もたもたとそれをいじっている、そのときトトのもぞもぞが激しいもがきにかわり、さらに強い力でおさえられ、「ギャアアアアアアアアアアアッッッッッ」と、今まで聞いたことのないような声をはりあげ、よほどおそろしかったのか、脱糞してしまった。「ほら早く、糞をなんとかして」と先生は冷淡に研修生に言い、猫をおさえつつテープをなんとかしなくてはならず、そこに糞の始末まで命じられた研修生は思考が完全にストップしてしまった。思わず私は「手を離してあげてください!」と叫び、しゃがみこんでトトの不始末を拾おうとした。結局私より早くお医者さんがティッシュでそれをとり、止血テープを研修生から取り上げて巻いた。彼らの手が離れるとトトは診察台からキャリーバッグにダイブした。そして無。私はここにはいません状態。

 家に帰ればこの世の終わりとばかり叫んだことも忘れたように毛繕いをしているトトだが、私はトトの断末魔のような声が忘れられず、漏らすくらいこわかったのかと思うと胸が塞がる思いである。そして、若い研修生の腕にひっかき傷がいっぱいあったことをせつなく思い出す。

 それから一年後、またしても健診にいくとき、私は緊張した。あのできごとがトトのトラウマになっているのではないか。また鳴き叫ぶのではないか。しかしトトは、以前とかわらず、病院に着くまではキャリーバッグのなかで立ち上がっては外のにおいを嗅ぎ、鳥の声に耳をひくつかせ、おもての光景を眺めている。その日の診察は前回とは違う先生だった。診察台ではなく、奥でトトの採血をして、先生はキャリーバッグにトトを入れて戻ってきた。

「採血のあいだ、とってもいい子ちゃんにしてました」と先生に言われ、私は馬鹿みたいに、その場にしゃがみこんで大声で泣きたかった。トトよくがんばった、先生ありがとうと大声で言いたかった。必死でこらえた。
 トトもだけれど、私も心労の絶えない病院通いなのである。

つづく

角田光代(かくた・みつよ)
1967年神奈川県生まれ。90年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。2005年『対岸の彼女』で直木賞、06年「ロック母」で川端康成文学賞、07年『八日目の蟬』で中央公論文芸賞、12年『紙の月』で柴田錬三郎賞、『かなたの子』で泉鏡花文学賞、21年『源氏物語』の訳業などで読売文学賞受賞。

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