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【連載】明日も一日きみを見てる 第12回 | 角田光代

小説 野性時代

「小説 野性時代」で連載中の大人気エッセイをnoteでも特別公開!
毎月22日(にゃんにゃんの日)に更新予定です。お楽しみに!

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角田家にきたころからほとんど鳴かなかったトトが、
ここ数年「ある要求」をするときは大声で鳴くようになった。
これはもしかして、加齢のせい……?

第12回 加齢とカツアゲ事件

 年齢を重ねると、世界との壁が薄くなるような気がする。二十代のとき、私は知らない人に話しかけられるのも話しかけるのもいやで、買いものは個人商店ではなくスーパーマーケットとコンビニエンスストアでしていたし、お店の人やお客さんに話しかけられないように、どの店の常連にもならないようにしていた。だから、バス停や道ばたや電車を待つホームで、中年から高齢にかけての女性が、見知らぬ私に自然に話しかけてくるのが不思議でならなかった。暑いわね、と言われることもあれば、荷物重くない? と訊かれることもあった。無視したりはしなかったけれど、ただただ、不思議だったのだ。

 四十代になってから、気がつけば私もまた、話しかける人になっていた。スーパーマーケットやコンビニエンスストアよりは個人商店で買いものをし、「このあいだ薦められたあれ、本当においしかったです」とお店の人と話す。暑いですね寒いですねと言う。赤ん坊を見れば、まあかわいいと言っている。人だかりができていると、何かあったんですかと訊きたくて訊きたくてたまらない。世界の壁が薄くなったのだ。でも、若き日の「中年から高齢の女性はなぜ……」という気持ちを覚えているから、できるだけ、心の声がダダ漏れにならないように気をつけている。

 もしかして、猫も同じなのではないかと最近思っている。

 トトはうちにきたころからほとんど鳴かず、遊んでほしいときも、甘えたいときも、じっとりと隅に座っていた。一時期、遊びたいときはオレンジ色のボールを持ってきて、ぽとりと落とし、じっとりと私たちを見ていた。声を出すのはせいぜい虫を見つけたときくらいだった。

 それが、二、三年前から、ものすごく鳴くようになった。始終鳴いているのではない。ある状況において、ある要求のときにのみ、鳴く。その要求とは、「腹にのせろ」。

 トトはもともと私の腹にのるのが好きだ。横たわった私の腹にのって、ぐるぐる盛大に喉を鳴らしながらふみふみをし、尻を私になすりつけ、ふみふみの気がすむと向きを変えて私の顔の真ん前に顔を突き出し、香箱を組んでべったりとはりつき、マッサージ待ちをする。頭、顔、デコルテと、ひととおりマッサージしてもらうとそのままうとうとし、熟睡しそうになると腹をおりてベッドで眠る。

 そういう一連の流れが、いつのまにかできあがっているのだが、これができるのは私が休みの土曜日、日曜日しかない。平日はあわただしく仕事場にいくからだ。そうして二、三年前から、朝になっても私が出かけず、家にいると、今日は休みらしいとトトも理解し、ものすごく大声で鳴くようになった。

 虫をつかまえたときは腹から絞り出すような、野太い声で鳴くが、この「腹にのせろ」は低い声ではなく、しかしあきらかに何かを要求している、長く強い声だ。階段の上からそんな声を出されると、「おい、ちょっとこっちこいや!」と脅されている気持ちになる。「ほら、横になりな! 腹にの・せ・ろ‼」とすごまれている気持ちになる。いや、この要求のとき、とくにトトが凶暴になることはないのだが、大きく声を出すために開けた口から、立派な犬歯が牙みたいにのぞくので、なんだか恫喝じみて聞こえるのだ。

 こんな要求をしなかったころ、トトは私の腹にしかのらなかった。家の人にだっこはされるが腹にはのらない。布団のなかに入れてもらうが腹にはのらない。それはたんに、脂肪の有無による選別だろう。私の腹はふわふわしているが、脂肪の少ない家の人の腹はかたくてふみふみのしがいがないのだろう。

 ところが発語による要求がはじまってから、家の人にもこれをやっていることが判明した。夜型の家の人は平日の昼近くに起きる。起きてまず風呂に入るのだが、風呂から出て脱衣所で体を拭いていると、ドアの外で、トトが言うらしいのだ、「おい、早く出てこいや!」と。着替え終わってドアを開けると、ドアの真ん前にトトがいて、「ほら、横になりな! 腹にの・せ・ろっ‼」とすごむらしいのだ。

 それでやむなく濡れた髪のままベッドに横たわると、シュタッと駆け上がってきて腹にのり、脂肪のないかたい腹をふみふみしながら、ぐるぐる喉を鳴らしているらしい。かってえな、ま、しかたないか、これしかないからな、がまんしてやるよ……と私はついトトの心の声を想像してしまう。

 十歳を過ぎてから、トトはあきらかに眠る時間が増えた。今もすごい勢いで走りまわっているけれど、遊びを要求することは少なくなった。そして走りまわってはいるが、前のように、ブレーキをかけ損ねたみたいに自分の勢いを止められず、床を滑って壁にぶつかるような激しさはなくなった。顔つきはまだ子どもみたいに私には見えるけれど、トトもちゃんと年をとっている。

 この、恫喝のような要求も、加齢と関係があるのではないかと私は思っている。私がおばさんになって、思ったことをすぐ言いそうになったり、実際言ってしまうみたいに、トトも以前だったらば「腹にのりたい……」とじっとりとうつむいていられたのが、ダダ漏れしてきて、ダダ漏れのあまり強い声になってしまっているのではないか。

 このトトの「腹にのせろ」の鳴き声について、私と家の人は、「恐喝」「カツアゲ」と呼んでいて、
「今日カツアゲされた?」
「されたされた、ドア開けたら待ち伏せされてて」
「ちょっとその場で跳んでみろ、って言われた?」
「言われた言われた、ちゃりんって音がして、ばれて」 と、そんなふうにひそひそと言い合っている。                                

                               つづく

角田光代(かくた・みつよ)
1967年神奈川県生まれ。90年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。2005年『対岸の彼女』で直木賞、06年「ロック母」で川端康成文学賞、07年『八日目の蟬』で中央公論文芸賞、12年『紙の月』で柴田錬三郎賞、『かなたの子』で泉鏡花文学賞、21年『源氏物語』の訳業などで読売文学賞受賞。

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